初めてのアマゴ・・・爺の独り言・・・
ほんとにジジイの独り言です
お暇な方か、それでも読んでやろうじゃないか、という奇特な方だけ、お読み下さい(^_^;)・・・
初めてテンカラでアマゴを釣ったのは、もう25年も前だろうか・・・
それが私の遅い釣りの始まりだった。
それから鮎釣りを覚え、海辺の街に転勤して海釣りを覚えた。
私の不細工な毛鉤にアマゴが飛びつくのを初めて見たときの驚きは今でも覚えている。
それが尺アマゴだったので、私は心臓マヒを起こすところだった。
釣りをする人は誰でもそうだろうが、自分の釣りのスタイルが一応の完成をみるまでは、工夫精進の一途であることが一般である。
私も三日にあけず、川に通い、家に帰っては毛鉤を巻き直し、巻き直してはまた川へ行き、大きな鮎に中ハリスを飛ばされては、仕掛けを工夫して・・・という繰り返しだったが、
いつしか両方の釣りで、自分のスタイルというものができてしまった。
そのうち、一日釣り歩いて一匹の釣果で十分幸せだった、昔、たしかに感じたあの悦びがだんだん感じられなくなっていく。
今でも、アマゴでも鮎でも、釣れると嬉しいが、はじめのころの、感動と幸福感には遠く及ばない。
それどころか、時々には、魚たちにすまない気持ちになったりもする。
釣りは、人間と魚の知恵比べ・・・などと、昔から言われていたが、しょせん、魚と人間では勝負は見えているのだ。
この自分の気持ちの変化に、老いた我が身を感じていたが、先日何気なく手にした本の序文に、よく似た趣旨のことが、書いてあった。
・・・初めて旅行をしてきた小学生のような活発な話し方をするのはいまの自分には難しい・・・云々。
この偉大な著者が書いた一文にハッとして、青春とはこういうものか・・・と今更ながらに想う自分が恥ずかしいが、心にかかった霧が少しは晴れる気持ちがした。
釣りは私の青春そのものだった。
出来る範囲で続けていけたら、と思う。